戦国武将の本多忠勝という人物をご存知でしょうか?
徳川家康に生涯仕え、徳川四天王といわれる、徳川家の重鎮です。
そんな彼は最強の戦国武将と言われ、生涯57回の合戦を経験して、一度たりとも傷を負わなかった言われているほど強かったと言われている最強戦国武将だそうです。
名前の忠勝から
「ただ勝つ」
という勝つために生まれたような武将です。
今回は彼の強さについて迫っていきたいと思います。
いきなり初戦が桶狭間の戦い!?
桶狭間の戦いといえば、織田信長が今川義元を打ち破ったといわれている有名な戦いです。
この戦いが忠勝の初陣と言われています。主君の家康を守りながら戦いました。
さすがに初陣の13歳、いまでいうと中学1年生でここまでやれる人はまずいないでしょう。
武田軍の猛追も許さない!!
徳川家康が最も追い詰められた戦いが三方ヶ原の戦いと言われる合戦です。やはり武田信玄は強いですねー。
この時家康はあまりの恐怖に脱糞をしてしまうほど、追い詰められてしまいました。
↑家康の脱糞絵
しかしここでも忠勝は活躍し、家康が逃げれるように武田軍の進撃を遅らせることで家康の退路を確保しました。
またこの時は信玄は有名なセリフを残します。
家康に過ぎたるものが唐の頭に本多平八(忠勝)
と褒めたえたほどです。
(*唐の頭とは、中国(唐)製品の珍しい兜のことです。)
忠勝の活躍は戦場だけにとどまらない!!
関ヶ原の戦いの前に大名たちに手紙を送って家康に味方するように働きかけていました。このことで、関ケ原の戦いで無駄に争わずに済む戦を事前に防いだのです。
忠勝の強さは武具にあり!!
忠勝のトレードマークは何といっても武具のかっこよさです。
鎧兜は動きやすさを考えて軽めに設計。形は鹿の形が特徴的です。
なぜ鹿であるのか?
忠勝が家康に命じられて、刈谷方面を偵察しているとき道に迷ってしまったそうです。その時に大きな鹿が道順を教えてくれるように導いてくれたという話があるそうです。
また、忠勝の武器といえば、蜻蛉槍です。この武器は槍の穂先にとまったトンボが真っ二つになったと言われるほど鋭いため、このような名称が付けられました。またこの槍は非常に長く、4メートルもあったと言われています。この槍を手にしてたくさんの敵を倒していきました。
忠勝にも傷あり!?
関ヶ原の戦いが終わり数年がたち、以前よりは落ち着いた平和な世の中になった時だった。忠勝が自分の小刀に名前を彫っていると手元がくるってしまい、自分の左手をかすってしまったそうである。
この時
本多忠勝も傷を負ったら終わりだな
とつぶやくと
その数日後に病気で亡くなってしまったそうである。
まとめ
本多忠勝は、戦国最強いいわれるほどの強さのある武将であると皆さん納得いただけたのではないでしょうか?
世間的に、忠勝は有名ではありませんが、皆さんにぜひ知ってもらいたい最強武将です。
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