越後の龍上杉謙信!!戦に愛された男!!

上杉謙信の名前は武田信玄ライバルとしてよく知られています。

しかし、上杉謙信がほかに何をしたかはあまり知られていないではないでしょうか?

そこで上杉謙信とはどんな人物なのかを詳しく見ていきましょう!

 

もくじ

上杉謙信の誕生

関東管領に任命!!

弱者を助けて強者に立ち向かう!!

まとめ

 

上杉謙信の誕生

上杉謙信は1530年越後(新潟県)の守護長尾為景の子として生まれました。幼少名は虎千代といい、本名は長尾景虎といいます。なお、名前に「虎」が入っていたために越後の虎とも言われました。長尾家の家督は兄晴景が継ぎましたが、晴景は病弱でした。そのため家臣の反乱が度々おこったために謙信が長尾家の家督を継ぎました。

 

関東管領に任命!!

謙信は初陣以降数々の合戦に参加し、勝利していきました。1550年、将軍足利義輝によって越後国主の地位をもらうと、翌年越後統一を果たしました。

関東管領である上杉憲政が相模の北条氏康に攻められてきたので、謙信は憲政を保護しました。その後、謙信は上杉家の家督を相続することになり、関東管領になりました。このとき長尾景虎から上杉謙信と名を改めます。

関東管領として毎年冬に武装して関東へ出兵しました。謙信が関東にいくと関東の武将は撤退しますが、謙信が戻っていくとまた元の状態になりました。この出兵を17回も繰り返しましたが、一切領土は増えませんでした。謙信はこの行為が無駄だとは思わず、自分が関東管領であるから当然の行為だと考えていたようです。

 

弱者を助けて強者に立ち向かう!!

戦国武将は天下をとるために領地拡大をして、他国に攻め込みました。しかし謙信は弱者を助けるために合戦を行っていました。

武田信玄と5度にわたる川中島の戦いも信玄に追われた信濃の人を助けるために謙信は戦いました。その証拠に謙信は信玄が塩攻め(塩を手に入れなくして敵を弱らせる作戦)に合うと、信玄に塩を送りました。

また、室町幕府を守るべきだと考えいたので、室町幕府を滅亡させた織田信長を許せないでいました。そこで信長に合戦を仕掛けて見事勝利しました。しかし、織田家にもう一度攻め込もうとするときに、酒好きの謙信はお酒の飲み過ぎで亡くなったと言われています。

 

まとめ

謙信は軍神として天才的な戦いぶりを見せつけました。例えば、北条軍3万が城を囲んでしまい、味方が孤立してしまいました。これを助けるために謙信は、たった44騎で乗り込みました。謙信は毘沙門天が守ってくれるから大丈夫だといい、堂々と城に入ることに成功しているのです。まさに軍神です。

また逸話として、上杉謙信は男性ではなく女性ではないかという説があります。それは謙信が結婚せずに子どもを残さず、養子を迎えたからです。謙信はだれを後取りにするか決めていなかったので、その後上杉家は分裂しました。

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